この十八年の間、あたしは何度こうして機上の人となったことだろう。初めて飛行機に搭乗したのは、忘れもしないあの日。日本を離れ、この地へ赴いた時だった。成田を飛び立ち、ひとりヒースロー空港に降り立ったあたしを待ち受けていたのは、涙のような雨。あたしの心を写し取ったのか、そぼ降る雨に濡れた街も人も、みんな暗い灰色にくすんで見えた。
ロンドンでの生活を始めた時は、二度と日本の地を踏むことは無いだろうと思っていたのだから仕方ない。何故なら、あたしは日本で手に入れたもの全てを捨てて来なければならなかったのだから。ようやく掴んだ『紅天女』も、小さな幸せも、あの人も――。
あたしは日本に大切なものを残してきた。自分の命よりも大切な人を。ずっと手の届かない人だと思ってきたあの人と思い掛けず想いが通じた時、彼には美しい婚約者がいた。彼に相応しい地位と財力を兼ね備えたその美しい女性は、政略結婚であるにも関わらず、彼を心から愛していた。
あたしは彼と結婚することを望んでいた訳じゃない。自分の想いと彼の想いが同じだったことが分かって、確かめることが出来て、それだけで充分幸せだった。念願だった『紅天女』の上演権も手に入れて、あたしの未来は光り輝いていると思っていた。彼の置かれている状況を考えもしないで、あたしは幸せな日々に酔っていたのだ。それは仮初めの幸せに過ぎなかったのに。
愚かにも、全ての道が拓けたことによって、何もかも自分が想い描くままに進んでいくものだと信じ込んでいた。でも、あたしの幸福の裏には目には見えない闇が広がり、危険を孕んだ黒い想いが渦巻いていたのだ。それらは全てを貪欲に呑み込もうと大きな口を開け、笑いながらあたしのことを待ち構えていた。
…to be continued