桜~double bill・聖

 

 太陽は緩やかに西へと傾きながら地平線に沈み、春のうららかな陽光の下で青く輝いていた空は薄紫色と金色が入り混じった紺色へと変わった。時折花嵐の吹く日ではあったが、周囲を樹々に囲まれたこの庭には強い風は吹き込んでこない。
 聖はこのような春の宵に特有の甘くやわらかな夜気を深々と吸い込んで気を静めてから、石造りの小道を歩き出した。上空には月が出ていたが、頭上を覆い始めた雲に隠れて光は地上まで届かなかった。
 速水邸の広い庭の中央には桜の古木がある。大地から自然のエネルギーを吸い上げては優雅に広げたその枝の隅々まで行き渡らせ、小さな淡いピンク色の花を綻ばせている。彼は独り佇み、今を盛りと咲き誇る桜の花を見つめていた。
―彼女に初めて会ったのは、いつだったろう
 宵闇にうっすらと白く浮かび上がる満開の桜の樹の下で、聖はふと思った。あれは、五年前か。彼女はまだほんの少女だった。自分を〝紫のバラのひと〟と勘違いして、息を弾ませながら駆け寄ってきた小柄な少女。
 意志の強さを物語る毅然とした顎、漆黒の闇を思わせる艶やかで真っ直ぐな黒髪、透けるような白い肌、希望を語りかけてくるきらきらと輝く黒曜石のような瞳。そして、桜の花びらのような愛らしい唇。

―彼女に会ってはいけなかったのだ

 

…to be continued