その日の朝、日本から持ち帰った鉢植えの蕾がひとつ、花開いた。
 淡いモーヴ、もしくは紅藤色のこの薔薇の花は、父が母のために作らせたものだ。ハイブリッド・ティー・ローズのスッキリとした立ち姿の花で、花弁があまり開きすぎないのが特徴だった。ほんのりとやわらかな甘い香りはオールドローズ系のもので、懐かしい母の香りを連想せる。
 素焼きの鉢の中で朝露を含み朝影にキラキラと輝いているこの花は、「薔薇」と言っても華美な派手さはなく、どちらかというと可憐な印象を受ける。〝紫のバラ〟は、母に幸せを運ぶ物静かな使者と共に長い間「足長おじさん」の象徴だった。母の「足長おじさん」――速水真澄。つまり、僕の父親だ。
 父が母にこの花を贈るのを、一度だけ目の前で見たことがある。体格の良い父が両手に抱え切れないほどの紫の薔薇の花束を持って、ヴェネチア国際映画祭の受賞式後に行われたパーティー会場に現れたのは、今から八ヶ月ほど前のことだった。
 世界に名だたる映画人が一堂に会するフロアの中でも彼の放つオーラはとびきり強烈で、その長身の引き締まった体躯にぴったりの漆黒のタキシードをスッキリと着こなすその姿は、このヴェネチア国際映画祭で主演男優賞を獲得したハリウッドの大物映画スターよりも目を惹いた。
 父の近くにその有名な映画スターが立っていた。一方は金髪で、一方は栗色の髪。そして、どちらも女性の視線を集めるのに充分な容貌だ。外見だけなら映画スターの方に少し分があるかもしれない、と僕は思った。しかし大抵の人々は、父の顎の線に顕れている意志の強さ、引き締まった肌、男らしい頬、そして気分によって多彩に変化する瞳に惹きつけられるだろう。
 大体において、日本人の中年男性(こういう言い方をすると、父はものすごく嫌がるけれど)が両手一杯の薔薇の花を抱えている姿が様になるなんて、ちょっと信じ難いことだ。けれども、優雅な身のこなしでしなやかに会場内を抜け、一直線に母の元へ向かった父は文字通り《絵になる男》そのものだった。

 

…to be continued