夜の社長室シリーズ

 

 嵐が吹き荒れる――おれの心の中を、決しておさまることのない嵐が…

 『忘れられた荒野』初日、深夜の大都芸能社長室。

 真澄は雨月会館で行われた公演を観劇した後、一人ここへ戻ってきた。未だ止むことの無い嵐が激しく窓に吹き付けている。上空では黒い雲が渦を巻き、風は低い呻り声を上げ、横殴りの雨が大きな窓を叩く。
 ドアを閉め、落ち着かない気分でそのままドアに寄り掛かる。身体が硬直している。硬直させないと身体がバラバラになりそうだ。彼は不意に激しい疲労を感じ、吐息をついた。
 嵐の中を歩いたため、着ていたスーツは絞れるほどたっぷりと雨水を含んで重さを増していた。絹のシャツはベットリと肌に貼り付き、気持ちが悪いほどだ。ネクタイを緩めようと結び目に人指し指を差し込んでみたが、水分のため固く締まっていて、ぴくりとも動かなかった。

「ずぶ濡れだな」

 真澄は小さく呟き、笑った。その乾いた笑い声は自分の耳にも悲しく響いた。素晴らしい感動を味わってきた後のこの侘びしさは、彼の脆くなった心を平穏に保つには荷が重すぎた。
 真澄はそのままフラフラと窓際まで行くと、ゴツンとガラスに額を打ち付けた。窓の外は嵐。自分の心の中も嵐。どちらに進んでいいのかさえ分からない。そう、自分で自分の心が分からない。

 いつからだろう? そんなことを感じるようになったのは。

 自分の感情など自分でコントロール出来る物だと思っていた。事実、実際にそうしてきたのだ。たったひとつの命綱だった電話を切られた瞬間から。あの冷たい海の中で生き残るために必死に闘ったときから。
 頼れるのは自分だけ。誰も、何も信じられない。信じてはいけない。心を許したらそれでお終いだ。いつの日か必ず『紅天女』を手にし、復讐を果たす。「その日」が来るまで目的のためなら手段を選ばず、欲しいものを手に入れ、余計なものは排除する。その為ならば他人を陥れることも、恨まれることも少しも厭わない。
 人間的な感情など必要ない。人から「冷血漢」と言われようが「仕事の鬼」と言われようが、一向に構わなかった。力を持たぬ弱いものは滅びていく。あの、暗く苦しい海の中で学んだ唯一のことだ。だから力を蓄えるために、どんなに辛いことでも耐えた。怒鳴られ、殴られ、虐げられても我慢した。見えないところで牙を研ぎ、あいつの喉笛を掻き切る日まで――

 そうだ。目的を果たすために自らの感情に蓋をして、長年そうやって生きてきたのだ。『紅天女』を奪い取り、あの男の前に立つことだけが生き甲斐だった。おれを見捨て、母を見殺しにしたあいつの目の前で、『紅天女』を大衆の手垢にまみれさせ、消費社会の波に埋もれさせることだけが。

 

…to be continued