星空~Triple Bill

 

「今年も雨か……」
 朝、シトシトと降り続く雨垂れの音で目が覚めた。七月七日の七夕は梅雨のど真ん中なのだから、当たり前といえば当たり前のことだ。特に驚くようなことではない。もちろん、雨が降っているのだから星を眺めることも難しいだろう。
 それでも、厚い黒雲にびっしりと覆われている遥か上空ではいつもと変わりなく星々が煌めき、織姫と彦星は年に一度の逢瀬を楽しんでいるはずだ。けれど、どんなに頑張ってみたところで、地上からは雨雲に遮られて星が見えない。
―星を見ないか、チビちゃん
―満天の星……宇宙の大きさが好きだったんだ
―スモッグや地上の灯りで見えないだけだ。本当は今も満天の星が輝いている
 頻繁に夜空を見上げるようになったのは、いつの頃からだったろう。あの人にプラネタリウムへ連れられて行ったあとから? 偶然出逢った梅の谷から? それとも、叶わぬ恋なのだと自覚するようになってから?
―どんな願い事をするつもりだったんだ?
―おれの願い事は……きっと一生叶わない……
 七夕の織姫・こと座の一等星ベガ、彦星・わし座の一等星アルタイル、そして、はくちょう座の一等星デネブ……夏の夜空を鮮やかに染め抜く大三角形。怖いくらいの満天の星空の下で星の話をしてくれた人。
 長い間ずっと、仕事のことしか頭にない、冷たい人だと思っていた。人間らしい感情など、持ち合わせているはずがないと。でも、本当は違っていた。独り、プラネタリウムの片隅で涙を流していた子ども―それが、あの人だった。
 降り注ぐような満天の星の下で、彼は一体どんな想いを抱いていたのだろうか。涙を流しながら、悔しさを堪えながら、哀しみを湛えながら。傷つきやすく繊細な心の少年。あの人の真の姿が〝冷血漢〟という鎧の後ろに見え隠れしている。
 決して見ることが出来ない、あの人の本当の心。夜空に広がる宇宙空間のように果てしなく、キラキラと煌めく美しい心が。そう、きっと同じようにこの雨雲の遥か彼方では、無数の星々が悠然と輝いているはずだ。
 いつだって、満天の星は輝いている。けれども、あたしたちが住んでいるこの都会では、スモッグや地上の灯りに邪魔されて見えないだけだ。どんなに目を凝らしてみても、ろくに見えない―真実が、見えない……。
 マヤは頭を大きく振って憂いを断ち切ると、勢いよくベッドから起き上がった。今日は午前中に大都芸能で今年度の契約更改が行われることになっている。そろそろ支度をしなくては、時間に遅れてしまいそうだ。
 この数年の間にすっかり染みついた習慣通りに簡単な朝食を用意し、食卓に着く。麗と一緒に住んでいた古い木造のアパートを出てから、必要に迫られてなんでもひとりで一通りのことは出来るようになった。
 トースト二枚に温野菜のサラダ、そして、コーヒー。いつものメニュー、いつもの食卓、いつもの通りの独りきりの朝食。コーヒーにはミルクも砂糖も入れない。全て昨日までと変わらない朝食の風景だ。
「いただきます」
 言うまでもないことだけれど、これもいつも通りの儀式。昨日までとも、明日からとも、寸分の違いすら見出せないだろう。どこも違わない、ごく普通の一日。けれども、この日はマヤにとっては特別な日だった。
「―今日は一日雨模様で、残念ながら天の川は期待出来そうにありませんねぇ……」
 天気予報を伝えるウエザーキャスターは降り続く雨の中、合羽と長靴に傘という重装備に身を包み雨の様子を伝えている。どうして彼らは台風だと言えば、わざわざ沿岸に行くのだろう……などとトーストを齧りながら思う。
 白くやわらかな湯気を立てているコーヒーをひと口含み、また外を眺める。鼻を擽る深い香り、喉を通る苦み、胸を騒がせる想い出……。窓を叩く雨粒の勢いが増していた。どうやら先ほどよりも雨脚が少し強まったようだ。
「梅雨なんだから、仕方ないよね」
 思い返してみても、子どものころから七夕が晴れだったのは数えるほどしかなかった。ここ二、三年、雨が続いていたからといって何も特別なことではない。ただ、マヤが『紅天女』の後継者となってから、この日の天候は彼女にとって一種の賭けのようなものになっていたというだけのことだ。
 もし、もしも、七夕の日に星を見ることが出来たら、迷うことなくあの人に自分の想いを告げる。そして、この未練がましい恋心に別れを告げるのだ。そう密かに思い続けて、早くも三年の月日が過ぎた。

 

…to be continued