「―一日だけ、速水さんの時間をあたしに下さい」
 突然、マヤがそう言った。
「バレンタインのお返しに、何か欲しいものはあるか?」
 と聞いた、真澄に答えたのである。

 日頃から何やかやとプレゼントしたがる真澄と、それを遠慮がちに断るマヤとの攻防は、端(水城や麗)から見ればただのいちゃつきとしか映らないのであるが、彼にしてみれば結構深刻な悩みとなっていた。
 なにしろ彼女は物に執着しない。マヤが唯一、執着している物といえば〝演劇〟なのか、はたまた〝自分〟なのか……想いが通じ合った現在でさえ、今ひとつ自信を持てないでいるのだ。無論、真澄だって物に執着している訳ではない。だが、これだけは自信を持って断言出来る。彼は彼女に執着している。―異常なほど。
 マヤは常日頃から「欲しい物は何も……」とか「あたしのためにそんなにお金を使わないで」と言って、真澄からの贈り物をやんわりと断り続けている。そんな彼女が珍しく欲しいと言ったもの。何としてでも叶えてやりたいと思うのは、惚れた者の弱みだろうか?
 多忙を極める冷血鬼社長である彼の時間を丸一日……となると、確かに金で買えるものではないだろうが、換算したら一体いくらくらいになるのだろう? 〝欲しいもの〟と聞かれてこう答えるところなど、いかにも物欲のないマヤらしい選択だとも思った。
 それに、彼女の方に原因があるとはいえ、誕生日の夜のディナーの約束が流れてしまったこともあって、どんな無理難題でも聞いてやりたい気分なのだ。それこそ月に行きたいと言われれば、ロケットを調達して月まで飛んで行きかねない。要するに、恥ずかしながらマヤにぞっこんベタ惚れということである。
「その日一日だけはあたしの好きなことをするから、何も言わずに付き合ってください」
 そんな風に彼女に言われたことなど今まで一度も無かったものだから、多少は面食らったものの、真澄はポーカーフェイスを些かも崩さずに冷静に対応した。
「わかった。いつでも良いんだな?」
 有能なビジネスマンは即断即決を金科玉条としている。ぐずぐずしていたら、一分一秒をドブに捨てることになるのだ。
「はい、休演日だったらいつでも良いです」
 マヤはホッと小さな溜め息を漏らし、コックリと頷いた。
「出来るだけ早い内に空けられるよう、スケジュールを調整するよ」
 早速、真澄は水城を呼び出して、マヤの休演日の中から自分が丸一日休みを取れる日を調整するように頼んだ。水城はこういった類の調整はお手の物で、彼女の頭の中のコンピュータによって弾き出された日程は、奇しくもホワイトデイ当日となった。もちろんこれは、水城のふたりに対する心遣いから調整された日程である。
 待ち合わせの前日になって、マヤから「明日はラフな格好で普通のデートをしたいんです」と連絡が入った。彼女が望むような〝普通のデート〟とはどんなものなのか……彼は少し考えたあと、水城に「ちょっと出てくる」と言い残して近くのデパートへ向かった。

 

 

…to be continued