聖~螢が見せた夢

 

 こんな夢を見た。


 耳元を吹き抜けるあたたかな風と、微かな葉ずれの音。そして、澄んだ水が流れゆくせせらぎ。閉じた瞼の裏でチカチカと光が明滅している。

「光? 何の光だ?」

 目を瞑ったまま、暗闇の中で光の動きを追いかける。

「この光は…」

 ゆっくりと、目を開ける。

 闇の中で無数の小さな淡い灯りが乱舞していた。美しく、幻想的な光景だ。その優美な様に感嘆し、ぼんやりと眺めていたら、目の前を仄かな光が長い尾を引きながら高く、低く、通り過ぎていった。

 ドキリ、と心臓が大きな音を立てる。

 一瞬、人魂かと思ったからだ。だが、そんな人間が見ていることなど気にも留めず、淡い光の玉は徐々に光度を変えながらフワリフワリと優雅に舞い続けている。
 その光の群れが蛍であると気付いたのは、闇と光が織りなす素晴らしいショーをしばらくの間見つめ続けたあとだった。
 蛍は光の密度と明度を変えながら、闇に微かな白い軌跡を描いている。まるで、自らの命が儚いということを知っているかの如く、命の炎に火を灯して闇のキャンバスに見えない痕跡を残しているようだ。
 蛍の小さな身体が発するやわらかな光は、一瞬世界を照らし出し、またすぐに静寂の闇を呼び戻す。その儚くも刹那的な瞬きは、いつも永遠を夢見ているのかもしれない。

 おそらく真夜中過ぎだろう。僕は頭上の星の位置を確かめた。月は薄い雲の後ろに隠れて、雲の輪郭を銀色に染めているだけで、闇を和らげるには殆ど役に立っていない。僕は闇が好きだった。闇の中なら誰にも見られずに歩き回ることが出来る。

 「死」と「眠り」は良く似ている。「死」は穏やかな眠りだ。深い眠りの中に陥ったとき、人は生と死との曖昧な境界の狭間で失ったものを夢見るのかもしれない。二度と手にすることは出来ない、大切なものを。

 僕がその浅い眠りの中で夢路を辿るとき、いつも決まって現れるのが蛍だった。

 蛍の群れはせつなげに瞬きを繰り返しながら、皆一様にどこかを目指している。こうして、彼らはまるで小さな水先案内人のように、懐かしいセピア色の想い出の中へと簡単に僕を連れ去ってしまうのだ。もう二度と会うことのない、あの愛しい人の元へ――。

 蛍は一体どこを目指しているのだろうか?
 「眠り」のその先にある「死」を?

 淡い光に導かれるまま、僕は暗闇を突き進む。最早、裸足の爪先を濡らすのは夜露なのか、涙なのか分からない。降り止んだばかりの雨がそこここに小さな水鏡を作り、蛍が放つ光の玉を地上にも映し出していた。
 宙を見上げると、夜空に浮かぶ星々もまた蛍と同じように瞬きを繰り返していた。天上でも、地上でも、美しい光の群れが舞い踊り、雲から顔を出したゴンドラのような三日月を取り囲んでいる。

 この道はどこまで続くのだろう。いや、そもそも僕はどこを目指して歩いているのだろう。この道の終着点には何が待っているのだろうか? 僕はその答えを知っているはずなのに、どうしても想い出せない。
 だから、ただひたすら歩く。何も考えずに、ただ歩く。闇はマントのように重く暖かく、夜の大気に漂う初夏の香りは甘かった。頬を撫でる風に乗って漂ってくるのは、何の香りだろうか。
 遠い記憶の底に静かに眠る、胸を騒がせるような甘やかな香り。歩を進めるごとにその香りは強くなる。身体に纏い付くようなこの香りは……。

 

…to be continued