気象の特異日―暦の上の特定の日に、その前後と比べて偶然とは思えないほどの大きな確率で、ある決まった気象現象(天気・気温・日照時間など)が現れる日のことをいう。この「特異日」はあくまでも統計的なもので、現れる理由は明らかではない。大気の大きな流れが季節の変化によって、ある特定の日に急に変わることで生ずるものであると考えられる。
 このために、非常に遠く離れた場所で同じ日に特異な天気―天気の様子は場所によって違ったとしても―が現れる、ということもある。また、特異日は日本だけではなく外国でも認められており、英語では「シンギュラリティ(singularity)」と言う。
 例えば「晴れの特異日」は、一月三日、六日、十九日。四月五日、五月十三日、八月十日、十月十六日、二十三日。十一月三日、八日。十二月六日の計十一日間となる。

 今日、十一月三日はまさにその「晴れの特異日」であった。

 早朝、以前からの約束通り、紫織からふたりの元へメッセージと共に素敵な贈り物が届けられた。マヤの為には紫のバラを基調としたヘアオーナメントと、同じバラと白いカトレアで作られた美しいブーケ。真澄の為にはお揃いのブーケトニア。

マヤさん、真澄さま
御結婚おめでとうございます
おふたりの門出をささやかながらお祝いしたいと
心を込めて作りました
今日のお天気のように穏やかな御結婚生活が
いつまでも続きますように……

紫織

 真澄がこんなにも晴れやかな気持ちで自分の誕生日を迎えるのは、一体何年ぶりのことだろうか?

 式の当日、マヤは目覚まし時計が鳴る前に目を覚ました。階上から壁を伝って垂れ下がる蔓を透かして、朝陽が射し込む。寝室はやわらかな翠色の光で満たされていた。しばらくベッドの中でじっとしたまま、樹々を渡る風の囁きに耳を傾ける。屋敷の周りに植えられた樹々の葉を掠める、やさしい衣擦れに似た風の音だ。
 彼女はゆっくりと穏やかな眠りから覚め、心地よいぬくもりに包まれたベッドから名残惜しそうに抜け出した。背中に羽が生えてでもいるように軽やかな足取りで窓辺まで行くと、レースのカーテンを勢い良く開く。たちまち早秋の爽やかな一日の始まりが、目にも鮮やかな色彩を帯びて飛び込んできた。
「きれい……」
 マヤは鏡の前に座って髪を梳かしながら、朝の光を映し込んでいる鏡をじっと見つめた。髪を梳かす手を休めて、指先で唇をなぞる。昨夜の甘い感覚をウットリと思い出したが、ふと鏡の中の自分と目が合い、手を止めた。

 マヤが階段を下りてクラシカルな造りの広々としたリビングに足を踏み入れた時、真澄はカップとソーサーを手に、窓の側に立って中庭を見ていた。どうやら何か考え事をしていて、マヤの足音に気付いていないらしい。
「おはよう、速水さん。いいお天気ね」
 彼女が背後から元気よく声を掛けると、真澄は慌てて振り返った。
「驚かせるなよ、マヤ。随分早いな」
「だって、眠っていられなかったんだもの。それに、早いって言うなら、速水さんだってあたしより早く起きてるじゃない」
 彼は確かにそうだ、と笑いながら肩を竦めた。
「おれも眠っていられなくてね」
 真澄が立つ窓際へ向かおうとしたマヤは中央のマホガニーのテーブルの上に置かれたバラのブーケを見つけると、そのあまりの素晴らしさに一瞬息を呑んだ。
「―素敵!」
 英介と一緒にウエディングドレスを受け取りに行った際、マヤはその場で試着をし、写真を撮って貰っていた。この写真は直ぐ紫織に届けられ、彼女はそれを元にイメージを膨らませて真澄とマヤのためにヘアオーナメントやブーケを作製してくれたのだ。
 紫色のバラと、紫織が丹誠込めて育てた白いカトレアのラウンド型のブーケ。正面から見ると、円形で全体的に丸い形をした可愛らしさが特徴のブーケだ。足首までのドームラインのドレスとは抜群の相性だろう。
 ヘアオーナメントはアップした髪にしっくりと馴染むように、両サイドにバランス良くクレッセント型に作られていた。白いレースの手袋に包まれた細い手首を華やかに飾るリストレットは同じく紫のバラとアイビーで出来ている。
 もちろん、真澄のブーケトニアはマヤの持つブーケと同じ花で作られているのは言うまでもない。
「素敵だわ。ねぇ、速水さん。こんなに素敵なブーケ、見たことがないわ!」
 夢に描いていた結婚式がこのブーケで完璧なものになる、とでも言いたげに彼女は瞳を輝かせた。
「ああ、本当だな。紫織さんに感謝しなくてはならないな」
 心の籠もった素晴らしい贈り物に、胸が熱くなる。
「あっ、メッセージが付いている」
 マヤは白いボックスの中から小さなカードを取り上げると、短いメッセージを熱心に何度も何度も読み返した。次第にじんわりと胸が熱くなる。ふたりの間に起こった様々な出来事、長かった道のり、全てが今日のためにあったのだと改めて思う。
 それから静かに目を閉じ、瞼の裏に六月のあの美しかった結婚式を思い浮かべた。花嫁が誰よりも美しくキラキラと輝いていた、幸せな一日。あの日と同じ煌めきを、今日は自分も纏うことが出来るのだろうか?
 真澄はいつの間にかマヤの直ぐ後ろに来ていた。彼女の肩に手を置いて、自分の方にやさしくそっと引き寄せる。あたたかな広い胸、自分をやわらかく包み込んでくれる逞しい腕、熱い吐息。マヤは目を閉じて、お腹の上にある彼の手に自分の手を重ねた。
「幸せにする。これから先もずっと、きみのことを見ている」
 耳元でそう囁かれて、彼女の胸は信じられないほどの甘い幸福感で満たされた。幸せすぎて、身体ごと溶けて無くなってしまいそうだ。
「あたしも速水さんを幸せにする。だから、あたしのことをずっと見ていて」
 力強い言葉が鼓膜をふんわりと擽った。
「ああ」

 

…to be continued