一般的に七夕と言えば、七月七日を指すのだろう。しかし、かつて日本古来の七夕行事は、江戸時代までに使われていた太陰太陽暦(天保暦)による七月七日に行われていた。これは元々、月齢およそ七の月が南西の空に輝く夏の夜になる。現在の暦での七月七日は梅雨の最中で、なかなか星を見る事が出来ない。
今年の七夕も、やはり曇り空だった。
マヤはかねてより「七夕の夜はふたりで星を見よう」と真澄に誘われていた。出来ることなら梅の谷まで足を運びたいところだが、彼女は舞台の公演中、彼もいつもの如く仕事に追われていたので、残念ながらこの願いは叶いそうになかった。
そこで、真澄が代わりに選んだのは……即席のプラネタリウムを用意することだった。マヤと一緒に星を眺めるために速水邸のオーディオルームを改装して機材を運び込み、一部屋丸ごとプラネタリウムにしてしまったのだ。
七夕当日、いつもより早めに帰宅した真澄は簡単に夕食を済ませると、オーディオルームに足を向けた。ライトを落として、リクライニングしたソファに深く身を沈める。最新設備のステレオで静かな音楽を流し、プラネタリウムのスイッチを入れた。すると、白い天井は瞬く間に無限の宇宙へと早変わりした。
きらめく星座、チラチラと大気に揺れて明るさを変える星々。宙を横切る天の川。身体ごと吸い込まれてしまいそうになる。何も言わずに輝いている星はここから何億光年も離れていて、今現在は存在していないかもしれないのだ。子どもの頃からどれだけ、この星たちに心を癒されてきたのだろうか?
広大な宇宙空間の中で、自分自身の小ささを肌で感じる。自分の悩みなど大したことではない。そう思わせてくれるほどの壮大な太古からの営みに身を委ねると、何故か心がフワリと軽くなった。今まではいつも独りでこの星空を眺めていた。誰かと一緒に星を見たのは、マヤが最初で最後だった。
あのころの真澄は流れ星に願いを託すことすら出来ずにいた。結局は都会のネオンの海が、自分が生きていくにもっとも相応しい場所であると考えていたからだ。全てに背を向け、何もかも諦めて、唯一手に入れたいと思った存在すら、無理矢理心から閉め出した。
〝願いは一生叶わない〟と、求める心すら押し殺そうとしてきた。自分は一生「影」の存在。日の当たる場所に立つことはないのだと、憎まれこそすれ愛されることなどあるはずがないのだと、愛おしい存在そのものから目を背けようとしていた。
だが、諦めることなど出来なかった。マヤが自分ではなく誰か他の男のものになるのを見ていることなど出来るはずがなかった。そもそも初めから無理なことだったのだ。彼女のいない人生など、生きていく意味も価値もない。マヤの『紅天女』を観て、その想いは爆発した。
あの運命の『紅天女』試演の日、マヤは舞台の上から真っ直ぐに真澄を見ていた。澄んだ瞳で、心で。身動きすることも、瞬きすることも、呼吸することすら忘れてマヤを見つめ返していた真澄は、劇場の客席に身を置いたまま自分が浄化され、透明になっていくのを感じた。
…to be continued