秋―食欲の秋、体育の秋、行楽の秋、芸術の秋、読書の秋。厳しい冬を耐え、春に芽吹き、夏に花開き、秋に撓わに実る。豊穣の時。
頭上を見上げると、街路樹の銀杏の葉がうっすらと金色に染まっている。秋が密やかに、そろりそろりと近づいているのだ。季節が完全に変わってしまうまで、誰もそれに気付かないのだが。
真澄とマヤの結婚式は、いよいよ来月頭に迫っていた。
一年前の今頃、ふたりは別々の闘いに挑んでいた。マヤは『紅天女』の後継者となるべく、自分の演劇人生を賭けて試演に臨んだ。それを観た真澄は紫織との婚約を破棄するために長過ぎる逡巡を捨て、自分が真に望むもの―自分の幸せを掴むためには必要不可欠な存在を手に入れようと動き出した。
昨年の秋に大地に蒔かれた種は、一年の時を経て大きな実りとなった。ふたりの間でゆっくりと育まれていった愛は、もう直ぐ結実の時を迎えようとしている。
真澄とマヤが出会ってから、実に九年もの歳月が流れていた。一口に九年、と言っても真澄にとってはその殆どが苦悩に満ちた年月だった。多くのことに恵まれ、誰よりも幸運を掴んでいると思われていた彼は、本当のところ自らの幸福を諦めた、半ば世捨て人のような人生を送っていたのだ。
ある不幸な出来事のあと、彼が〝復讐〟という暗い欲望に取り憑かれてからは〝幸せ〟とは自分に縁のないものだと考えていたし、またそれで十分に生きてこられた。ただ、マヤに出会ってからは、彼女を〝幸せ〟にしたいとずっと思い続けていた。それなのに、彼の行動は時にマヤを怒らせ、酷く傷つけた。
〝紫のバラのひと〟としての彼は彼女をこの上もなく〝幸せ〟にし、〝速水真澄〟としての彼は彼女にこの上なく憎まれていた。この大いなる矛盾と誤解が長い間、真澄の感情を縛り、行動を抑え続けていたのだ。
…to be continued