はじめに
これは、梅林の中にひっそりと店を構えている不思議な洋菓子店のお話です

 

照山洋菓子店のこと

 照山洋菓子店――その小さな洋菓子店は、美しい紅梅が花咲く林の中でひっそりと店を構えていました。何の飾り気もない古めかしい店構えに、少し装飾的な木製の看板だけが目を惹きます。
 大きな一枚板で造られたドアには、“開店中”というプレートがぶら下がっていました。まるで時の流れから切り離されたかのようなその佇まいは、いささか懐古趣味に走り過ぎているようにも思えます。

 ちょっと、お店を覗いてみましょう。

 お店に並んでいるお菓子はたった一種類。レモンの形をした、レモン味の小さくて素朴なケーキだけです。
 古いためなのか、それとも最初からそうだったのか分かりませんが、すりガラスのようになったショウケースの中で手のひらにすっぽりと収まるくらい小さなレモンケーキが整然と並んでいます。
 ほら、じっと目を凝らしてみて下さい。何か感じませんか? え? 何も感じない? おかしいですね。実はこのレモンケーキ、一見、普通のケーキのように見えますが、ちょっと変わっているのです。
 変わっているって、どこがかって? そうですね、一体どこが他のお菓子と違っているのか、あなたにだけはこっそりとお教えしましょう。

レモンケーキのこと

 まず第一に、あなたが食べてみたいと思っても、必ずしも食べられるワケではありません。そんなにすごい人気なのかって? いいえ、違います。作ってる数がとても少ない? そうじゃありません。だったら、どうして?
 なぜなら、梅林の奥にあるこの小さな洋菓子店に足を踏み入れられるのは、ごくごく僅かな限られた人たちだけだからです。

 第二に、このレモンケーキを食べた人は皆、必ず幸せになるのです。どうしてかって? あなたはどうしてだと思います?
 摩訶不思議なことに小さなレモンケーキを口に運ぶと、その人の中に眠る、さまざまな感情が静かに、ゆっくりと解き放たれていくのです。忘れていた何か大切なもの、忘れてはならない大切なこと、そういったものがレモンケーキの甘酸っぱさと共に身体中に広がっていくからです。
 それはどこか酷く懐かしい、そう、まるで、お母さんのやわらかな胸に抱かれてスヤスヤと眠りに就いているような、やすらぎと心地よさに満たされて。

 第三に、この洋菓子店のレモンケーキを食べた人は皆、このお店の存在を忘れてしまうのです。え? そんなバカなことあるわけないって? いいえ、本当のことなのです。 
 記憶を司る中枢のさらに奥深く、ちょうど意識と無意識の境目辺り――人はよく“夢”と表現しますが――記憶の小箱の中で大切な宝物としてしっかりと保管され、厳重に鍵をかけられてしまうからなのです。

 そうして、いつの日かミライのどこかで、心を震わせるような人や出来事に出逢ったときに、ホンの一瞬だけその扉が開かれます。奔流のように溢れ出たその記憶はレモンケーキと同じく、どこか甘酸っぱいやさしさを秘めているのです。

三人の魔女のこと

 そのように不思議なレモンケーキを作っているのは、三人の魔女でした。と、いってもマクベスに出てくるような人間を破滅へと導く恐ろしい魔女ではありません。この店を訪れた人がホンのちょっぴり幸せになれるよう、目には見えない運命の糸を紡いでいるのです。
 たとえば、ちょっとした偶然を装って、運命の恋人たちである、ひとりの男とひとりの女をめぐり逢わせたり――。

 

…to be continued