新緑の美しい季節である。樹々は一斉に芽吹き、その生命の輝きを眩しい太陽に向けて拡げている。風はやわらかく頬を撫で、空気は澄み、空はどこまでも青い。真澄はいつもより早く目覚めると、窓を大きく開け、朝の新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「いい季節だな」
 思わずそう呟いてから、自嘲の笑みを浮かべる。仕事の鬼、冷血漢と言われていたおれが、こんなことを言うなんてな、と。マヤの愛を得ることが出来てから、彼の時間も季節もゆっくりと過ぎていた。それまでは時間の波を走り抜け、季節の移り変わりを感じることもないまま生きていたのだ。
 ほんの僅かな気候の変化を嬉しいと感じたり、淋しく感じたり―とにかく彼女と過ごす日々は、常に真澄に新しい風を吹き込んでくれる。マヤの傍にいるだけで、まるで、やさしい緑色の風に吹かれているような心地がするのは気のせいだろうか?
 もう一度、彼は大きく息を吸い込んだ。清々しい大気は緑の香りを纏っている。速水家の広大な庭は、今が一番美しい季節になっていた。

 大気に混ざる細かな粒子までもがキラキラと輝くような朝だった。雲ひとつ無い空、とはこういうことを言うのだろう。陽射しも空気もやわらかく、自分をやさしく包み込んでくれるようだ。
 春は好きだ。色々な生命が新しく生まれる季節。芽生えた小さな生命が歓びに沸き立っている。この空の下に自分が存在しているということ、真澄が存在しているという喜びを、心からの感謝を込めて春のあたたかい空気に放った。
「ああ、良い朝だなぁ」
 マヤは大きく伸びをしたあと、早速出掛ける支度を始めた。今日は英介の招待を受けて速水邸へ行くのだ。ウキウキとした気分で壁に掛けてある真っ白なワンピースを眺める。これはこの日のためにわざわざ新調したものだ。
 どこかへ出掛けるのに洋服を買うなんて初めてのことだったが、今日はこれを着て真澄の家を訪ねる。速水邸には高校生の頃の彼女を覚えている使用人達もいるに違いない。きちんとした格好で行かなくては、と自分にしてはかなり奮発して買ったのだ。
 ところが、一度迷い始めるとなかなか決められないという悪い癖がモロに出てしまった。見合いに行く訳でもないのに、ブティックの店員が呆れてしまうほど何度も試着を繰り返し、長時間迷った挙げ句の果て、漸くこの一着に決めたワンピースだった。身支度を整え、鏡の前でポーズを取る。
「大丈夫だよね。おかしくないよね」
 この服を着た自分を見て、彼は何と言ってくれるのだろうか? 真澄のことを思うたびに、マヤは天にも昇る心地になった。

…to be continued